鏑木清方 Kaburagi Kiyokata

≪雪兎≫ 額装 44×47.3 東京美術倶楽部鑑定証書 紙本

 

 [略歴]

1878年 東京神田に生まれる

1891年 挿絵画家を目指し、水野年方(みずのとしかた)に入門

1893年 師の年方から「清方」の号を授けられる

1894年 父が社長を務める「やまと新聞」の挿絵を担当

1897年 「東北新聞」の挿絵を担当し、独り立ちする

1901年 「烏合会(うごうかい)」を結成

     泉鏡花著「三枚続(さんまいつづき)の口絵と装幀を依頼され、鏡花と

     親交を結ぶ。この頃から日本画への関心を深め、特に文学から題材を得

     た作品を多く発表しはじめる

1903年 文芸界をリードした雑誌「文芸倶楽部」の口絵を飾るようになり、挿絵

     作家としての地歩を固める

1915年 伊東深水、寺島紫明ら清方の門下生により、「郷土会」が結成される

     第9回文展で≪霽(は)れゆく村雨≫が最高賞を受賞

1916年 平福百穂(ひらふくひゃくすい)、松岡映丘(まつおかえいきゅう)、

    結城素明(ゆうきそめい)、吉川霊華(きっかわれいか)と共に「金鈴社

    (きんれいしゃ)を結成

1919年 第1回帝国美術院展(帝展)の審査員を務める

1927年 第8回帝展に≪築地明石町(つきじあかしちょう)≫を出品

    帝国美術院賞を受賞 名実ともに清方の名が世に知らしめられる

1930年 第11回帝展に≪三遊亭圓朝像≫を出品 この作品は、2003年、重要文化

     財に指定される

1937年 帝国芸術院設置に伴い、帝国芸術院会員となる

1944年 帝室技芸員に任命される

1946年 第1回日本美術展覧会(日展)の審査員を務める

     疎開先の御殿場から鎌倉材木座に転居

1954年 文化勲章を受章する 鎌倉雪ノ下に転居

1972年 3月2日、鎌倉雪ノ下にて逝去 享年93歳