≪南無観世音菩薩≫ 掛軸 共箱 本紙寸法 45.8㎝×59.4㎝
[略歴]
1878年(明治11年) 栃木県に生まれる
1899年(明治32年) 水野年方に入門 同門に鏑木清方、池田輝方、大野静片等がいた
1900年(明治33年) 師年方より「方」の文字を受け「寛方」とする
1901年(明治34年) 第10回日本絵画協会展に初出品 2等褒状、続く秋の11回展でも2等褒状
1902年(明治35年) 美術雑誌社「国華社」に入社、これより44年まで勤める
1907年(明治40年) 第1回文展で初入選 この頃より原三渓の保護を受ける
1914年(大正3年) 第1回再興院展に入選
1915年(大正4年) 第2回再興院展に出品した≪乳糜供養≫が高く評価され、同人に推される
1916年(大正5年) インドの詩聖タゴールが来日する
タゴールが創設した学園の絵画教授としてインドに招かれる
1917年(大正6年) 10月8日~11月27日 仏跡巡り(カルカッタからマドラス、バンガロールなど)
1918年(大正7年) 3月2日、アジャンタ壁画模写を完了 5月31日帰国
1919年(大正8年) 第6回再興院展へ出品、その独特な色彩が話題となった
1925年(大正14年) 両陛下銀婚式奉賀のため台湾風俗を描くように委嘱され台湾へ赴く
1930年(昭和5年) 4月、ローマでの日本美術展覧会に出品
1931年(昭和6年) 大観帝室技芸員となる
1940年(昭和15年) 9月、法隆寺金堂壁画修復模写
1945年(昭和20年) 66才にて逝去